レンタル彼氏とデート体験 vol.01

——約束の時間まであと少し。
私は不安と期待でドキドキしながら、多くの人が行き交う駅前をながめた。

(……皆、おしゃれ)

男性も女性も年代に関わらず、流行りのファッションに身を包み足早に歩いている。
そんな彼等を目にしていると、不意に自分の格好が不安になってきた。

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(うーん。やっぱり、これじゃない方が良かったかも)

これから会う“彼氏”の顔が、ふっと頭の中に浮かぶ。
整った顔立ちに優しそうな目元、どこか子どもっぽい無邪気な笑顔。

(一緒に歩いてて、恥ずかしいって思われないかな)

ふぅ、と小さくため息をついて視線を地面に落とすと、自分の足先が視界に入ってくる。

(……そもそも私、デート向けのおしゃれなんて、ほとんど縁がなかったもんね)

今日に向けて色々と準備はしたけれど。
この靴も今の服装も本当に似合っているのかと、つい考えてしまう。

「……こんにちは」
「えっ?」
「アヤさん、ですよね」

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ちょっと遠慮がちな声に慌てて顔を上げると、そこには“彼氏”が佇んでいた。

「……こ、こんにちは!」
「こんにちは、敬浩です」

写真で見たままの姿が目の前にいる。
私の緊張度は一気に高まり、頬が熱くなった。

(どうしよう……! 何を話せばいいの?)

頭が真っ白になって、次の言葉が出てこない。
心の中で一人焦っていると、彼がふわりと柔らかく微笑んだ。

「緊張してる?」
「……はい」
「ですよね。こうして会うのは初めてなんだし」

優しい眼差し、穏やかで低めの甘い声。
私がこの人とこれから数時間、デートするのかと思うとちょっと不思議な感じだった。

「ええと……敬浩くん、よろしくお願いします」
「俺こそ。今日は楽しもうね!」

彼は少しくだけた口調でそう言うと、にっこりと笑って手を差し出してきた。

「じゃあ、行こうか?」
「えっ……」
「手、つなごう」

積極的な提案に、思わず彼の顔とその手を交互に見つめてしまう。
けれど、迷ったのはほんの一瞬だけだった。

「……普通になら」
「うん、分かった」

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彼はもう一度にっこりと笑うと、私の手を包み込むように優しく握ってくれた。
それは男の人らしく、大きくて骨っぽさが感じられる温かい手。

(安心するような、余計に緊張するような……)

何とも複雑な思いが全身を駆け巡る。
でも、こんな気持ちになるのも悪くないかも、と思えてくる。

「じゃあ、まずはランチを食べに行こうか」
「うん」

そう返事をすると、彼はちょっと困ったように私を見つめてきた。

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どことなく子犬を連想させる眼差しに、またしても頬が熱くなる。

「な、何ですか……?」
「うーんと、もう少し気軽な感じで喋ってくれると、嬉しいかなって思って」
「あ……」
「でも、無理しなくていいよ。まだ緊張してると思うし」

彼は大らかに笑ってそう言うと、私の手をそっと握り直してからのんびりと歩きだした。

程なくしてたどり着いたのは、オーガニックのカフェ。
新鮮な食材をふんだんに使ったメニューが美味しいと評判で、一度行ってみたかった所。

「意外と、カップル客が多いんだね」
「そうなんです」

席に着いてメニューを眺めながら、彼が小声でそう言ってきた。

「ずっと来たかったんですけど、勇気がなくて……」
「それじゃ、今日は記念日だね」

無邪気な彼の表情に、思わずクスッと笑ってしまった。
すると——

「良かった。やっと笑ってくれた」
「え?」
「ずっと緊張されたままだったら、どうしようって思ってた」

ほっとしたように息をついて、人懐っこく無邪気な笑顔を浮かべる彼。
そして、その表情を見た途端、私の中の余計な緊張がふっとほどけていった。

「……これってやっぱり、ランチじゃなくてデザートだね」
「うん、そうだね」

テーブルに並ぶのは、二人分のフルーツたっぷりパンケーキ。
本当は、もっと食事っぽいものを頼むはずだった。

「でもさ、あのメニューの写真見たら食べたくなるよ」
「ね、誘惑に負けちゃった」

そう言いながら、お互い満足気に微笑み合ったときだった。

「アヤが甘いもの好きで良かった」
「……あ」

さりげなく名前を呼ばれ、心臓が勢いよく飛び跳ねる。
嬉しいやら照れるやらで、私は思わず視線をテーブルに落としてしまう。

「ほら、食べよう!」

彼はそう言うとナイフとフォークを手に取った。
そして、目の前のパンケーキを切り分け始めようとする。

「待って、私が……」
「大丈夫。任せて」

にっこりと笑うと、慣れた手つきでナイフを操る彼。
まるでパティシエみたいなその動きに、思わず見入ってしまった。

「すごい。敬浩くんって、器用なのね」
「ありがとう。アヤに褒めてもらったから、調子に乗っちゃうかも」

彼はそう言って嬉しそうに笑ったあと、真剣な面持ちでパンケーキに向かう。

(……笑顔もステキだけど、こんな表情もいいな)
(それに優しいし、ちっとも気取った所がないし)

そんな事を思っていると、彼とふと目が合った。
するとなぜか、丁寧に切り分けたパンケーキを皿ごと自分の方に引き寄せる。

「これ、全部食べちゃってもいい?」
「——えっ?」

いたずらをする男の子みたいな笑顔で、私を見つめる彼。
憎めないその表情に、つい小さな声を立てて笑ってしまった。

「ふふっ。どうぞ、私の分は追加注文するから」
「ウソウソ。俺、こんなに食べれないから」
「あ、やっぱり?」

こんなふうに気軽におしゃべりをして笑い合う。
だたそれだけで、心の中がほんわりと温かくなっていくのが、とても新鮮な感覚だった。

「はー、美味しかった」
「お腹いっぱいだね」

カフェを出て、ゆっくりと街の中を歩きだした。
さっきと同じように、私の手を包み込むように握ってくれる彼の手。

(こんなふうに手をつなぐのもいいけど、やっぱり……)

私は少しためらったあと、思い切って希望を伝えることにした。

「……あのね、敬浩くん」
「ん?」
「もうちょっと……恋人っぽく手をつなぎたいな」
「うん、いいよ」

彼は嬉しそうに返事をすると、私の指に自分の指をそっと絡めてきた。
お互いの手がぴったりと合う感触に、ふわっと頬が熱くなる。

「照れてる?」
「……ちょっと、ね」
「お、素直に認めるところが可愛い」
「……えっ」
「それに今日の服も可愛いよ」
「ありがとう……」

嫌味のない口調で、さらりと褒めてくれる彼。
おかげで頬の熱さがさらに増し、私は思わずうつむいてしまった。

「じゃあ、行こっか」
「……うん」

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彼は照れる私をからかうことなく、公園へと足を向けた。

しばらく歩いた大きな通りから、少し狭い道へと入ったときだった。

「アヤ、こっち」
「え?」

つないでいた手を不意に離して、私を自分の左側へと引き寄せる。
そしてまた、同じようにしっかりと指を絡めて手を握ってくれた。

「急にどうしたの?」
「車が来たら危ないでしょ? この道、歩道ないから」

得意気になる様子もなく、穏やかに微笑んで答えてくれる彼。
さりげない気遣いに、私の口元が自然とほころんだ。

「優しいのね」
「アヤを守るのは、俺しかいないからね」

きっぱりと言い切ると同時に、彼の手がよりしっかりと私の手を握る。

(あ……)

さっきよりも隙間なく重なり合う手。
余すところなく伝わってくる彼の温もりが、胸の奥まで柔らかく染み込んできた。

到着した公園は昼下がりの穏やかな光にあふれ、澄んだ空気に満ちていた。
のどかで爽やかな雰囲気の中、広い芝生でくつろぐ人や寝ている人。
遊歩道を歩く年配の夫婦、犬を連れて走る人……

「何かこう、ホッとするな。公園って」
「私ね、緑に囲まれると、元気になる気がして好きなの」
「マイナスイオン?」
「それって、滝の近くじゃなかった?」
「あれっ?」

彼はうーん、といった感じで首を傾げたあと、自分からクスクスと笑い出す。
それにつられて、私も笑い出してしまった。

「足、疲れてない? あそこ空いてるから座ろうか」

他愛ないおしゃべりをしながら、広い公園内を半分ほど歩いた頃。
彼がすぐ近くにあるベンチを指差した。

「うん、休憩しましょ」
「じゃあ、この上にどうぞ」

そう言うと彼は、ポケットからハンカチを取り出してベンチに引いてくれた。

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「いいの?」
「もちろん。アヤの服、汚したくないから」
「ありがとう」

並んでベンチに座っても、彼は手をつないでくれたまま。

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できるなら、ずっとこうしていたい。

(……あともう少しで終わりなのね)

西に傾きだした太陽が、長い影を創り出している。
そして、公園で思い思いにくつろぐ人達が、一人また一人と少なくなっていく。
私は別れがたい思いを噛みしめながら、彼をそっと見つめた。

「……敬浩くん」
「ん?」

ほんのりと夕焼け色に染まった彼の姿。
それがとてもキレイで、切ない思いがじわじわとこみ上げてくる。

「今日は本当にありがとう」
「……そっか。もうそんな時間なんだ」
「うん……」

つないでいた手を自分からゆっくりと離した。
手の平をすっと撫でる、夕暮れの少しひんやりとした空気。
それが、残っていた彼の体温をあっけなく消し去ってしまう。

「とっても楽しかった」
「俺も楽しかった」

座っていたベンチから立ち上がり、彼のハンカチを丁寧に折りたたむ。

「本当なら、洗って返すべきなんだけど……」
「気にしないで。汚れてないから」

彼はにこっと笑うと私の手からハンカチを受け取り、ポケットにしまいこんだ。

「……それじゃ、ここで」
「気をつけて帰ってね、敬浩くん」
「うん、アヤもね」

彼がずっと見てくれていることを背中に感じながら歩き出す。
途中、一度だけ振り向いて手を振ると、愛おしい笑顔で応えてくれた。

「……うん、楽しかった!」

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私の胸の中に、幸せな思いと一抹の寂しさが混ざり広がってゆく。
そしてそれと共に、思い切って行動できたという充実感が、全身を駆け巡っていた……

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